架空野球Wikiデータベース
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この記事では架空野球シリーズの架空の人物・団体等についての情報が記されています。現実の人物・団体等とは一切関係ありません


平田 寛大(ひらた かんだい、1996年9月6日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴[]

プロ入り前[]

小学生時代にリトルリーグで野球を始め、中学時代はシニアに所属し中国大会でエースとして優勝。

高校は広島県下の名門・高徳高へ進学、1年夏からベンチ入りを果たした。1年秋からエースを務め、最速150キロを超えるストレートを武器に活躍、2年夏の甲子園と3年春のセンバツに2回出場した。しかし最後の大会となった3年夏の甲子園では県大会予選で右ひじ痛を発症して本領を発揮できず、チームも準決勝で敗退した。1学年下には玉木淳一郎がいる。

2014年ドラフトでは外れ1位で愛媛ブルークラウンズに指名され、入団。入団当時の背番号は11

愛媛ブルークラウンズ時代[]

2015年は右ひじ痛の治療と体作りを優先し、二軍でも登板1試合のみに終わった。

2016年は本人の希望もあって二軍で中継ぎとして起用されるが、結果を残せず一軍登板はなかった。

2017年は二軍で抑えとして活躍し、8月に一軍登録を受ける。そのまま6試合に登板した、防御率4.50を記録した。

2018年はケガもあって二軍で23試合、防御率4.32に留まり、一軍登板がなかった。オフに背番号を99へ変更した。

2019年は2年振りに一軍出場を果たし、3試合に登板したが、防御率6.75と結果を残せなかった。

2020年は一軍では1試合0.2イニングのみの登板で、オフに戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトは受けずにオファーを待ったが、NPBからの獲得球団はなかった。

西日本リーグ・岡山時代[]

2021年から2年間は独立リーグの西日本リーグ・岡山でプレー。2021年は抑えとして45試合に登板したが、2022年に右肘を故障し、そのままオフに現役を引退した。

現役引退後[]

現役引退後は医療関係の道を目指し、資格の勉強をしている。

選手としての特徴・人物[]

ストレートの最速は154キロでキレがある。

持ち球はスライダー、カットボール、チェンジアップなど。制球力に課題を残す。

詳細情報[]

年度別投手成績[]





















































W
H
I
P

2017 愛媛 6 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 4.0 3 0 2 0 0 2 1 0 2 2 4.50 1.25
2019 3 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 2.2 3 0 2 0 0 1 0 0 2 2 6.75 1.88
2020 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 0.2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.50
NPB:3年 10 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 7.1 6 0 5 0 0 3 1 0 4 4 4.91 1.50

タイトル[]

表彰[]

記録[]

背番号[]

  • 11(2015年 - 2018年、2021年 - 2022年)
  • 99(2019年 - 2020年)

関連項目[]

愛媛ブルークラウンズ 2014年ドラフト指名選手
新人選手選択会議 1位:平田寛大 | 2位:千葉愛斗 | 3位:斎藤昌磨 | 4位:久田隆司 | 5位:松本匠真
育成選手選択会議 1位:xxx | 2位:xxx
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